偉人の詞
悪い友と交るな。
卑しい人と交るな。
善い友と交われ。
尊い人と交まじわれ。
『ウダーナヴァルガ』第25章3
ブッタ言葉です。
ブッダは決して「気の合う仲間や仲の良い人とだけつるんでいればいい」とは言っていません。
私たちは
・自分と気の合う人
・自分と似た意見を持つ人
を「善い人」と捉えがちで、逆に、気の合わない人は遠ざけ、その人を否定的に見てしまいがちです。
しかし、自分自身の意見が必ずしも正しいとは限りません。
無自覚・無意識に、自分のエゴや利益を含んでいる意見や考え、答えを正しいとしがちです。気の合う人もまた、同じような意見や考え、答えの出し方をしている人になってしまいかねません。
正しい、正しくない
正解、不正解
善悪もまた人の数だけ存在します。
私の悪が、誰かの正義である可能性があるということです。
またその逆も。
集まる同じ意見が多いほどそちらへ傾いていきがちですが、人というのは悪気なくとも物事を自分の都合のいいようにねじ曲げて捉えてしまうところがあります。
「自分は正しい」
「私は間違っていない」
ブッタは「人」とおっしゃっていますが、置かれている状況や環境など、別の何かに置き換えてみるとまた違った見方が出来るかもしれませんね。
ちなみに【卑しい(いやしい)人】についてブッタは、
怒りやすくて恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人・・・かれを賤しい人であると知れ。 『スッタニパータ』116
自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人・・・かれを賤しい人であると知れ。 『スッタニパータ』132
実際は尊敬されるべき人ではないのに尊敬されるべき人(聖者)であると自称し、梵天を含む世界の盗賊である人・・・かれこそ実に最下の賤しい人である。わたくしがそなたたちに説き示したこれらの人々は、実に〈賎しい人〉と呼ばれる。 『スッタニパータ』135
と説いておられます。
合掌
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